日本者浦安國(やまとはうらやすのくに)
ご存じですか 日本書紀の「浦安」の記載
私たちのまち〝浦安〟の名は、明治22年の堀江・猫実・当代島の三村合併の際に「浦、安かれ(海辺が安泰であってほしい)」との願いを込め、初代村長の新井甚左衛門が付けたといわれています。
また、一説には日本国が昔「浦安の国」と称したことから、この名を付けたともいわれています。そんなことから、市役所1階には「日本者浦安國(やまとはうらやすのくに)」の一節を含む「日本書紀巻第三 神武天皇三十一年夏四月」の書を展示しています。
市役所を訪れた際は、ぜひこの一節を探していただき、私たちのまち〝浦安〟の起源に触れる機会としてみてください。
「日本書紀巻第三 神武天皇三十一年夏四月」
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このページに関するお問い合わせ
広聴広報課
〒279-8501 千葉県浦安市猫実一丁目1番1号(市役所3階)
電話:047-712-6056 ファクス:047-353-2453
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