漁業権放棄
浦安の漁業従事者は昭和37年に漁業権を一部放棄し、さらに、昭和46年には漁業権を全面放棄しました。
浦安では古くから遠浅の海を漁場として多種の魚類や貝、海藻類を採って生活を営んでいましたが、昭和30年代に入ると工場排水や生活排水によって漁場がしだいに汚染されてきました。
特に昭和33年6月の本州製紙江戸川工場悪水放流事件以降、京葉工業地帯土地造成のための海面埋め立てなどによって、漁場の環境は急激に悪化し、水産物の水揚げは年々減少の一途をたどりました。
当時、浦安には漁業協同組合と数多くの漁業同業者組合が組織されていましたが、それら組合員たちは漁業の将来に不安を持つようになり、昭和37年に共同漁業権の一部と区画漁業権の一部を放棄しました。
その後も漁業継続の努力はなされましたが、東京湾の汚染が進み、昭和46年、ついに漁業権を全面放棄しました。
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