三軒長屋(浦安の三軒長屋) 県指定有形文化財
旧内田喜一氏所有三軒長屋は、堀江三丁目18番15号から移築したものです。安政5年(1858年)以前に本家から譲り受けたという言い伝えや部材の状態から、江戸時代後期の文政から天保年間(19世紀前半)ごろの建物と推定されています。
建築様式は、寄棟造りの茅葺き木造平屋建です。一棟に三軒あり、一軒ごとの間取りが「9尺2間(6畳一間)」に土間がつく型で、典型的な庶民の長屋です。
このような長屋が残されているのは、東京周辺でも極めてまれな例です。解体する直前まで人が住み続け、大切に手入れされていたために保存状態がよいまま、今日まで残されています。
長屋の天井
三軒長屋には天井がなく、部屋からは直接に屋根裏が見えます。茅葺きの屋根は竹を組んで下地を作っています。それを支えているのが、斜め約45度に棟の位置で組み合わせた2本の丸太です。このような構造を「叉首組」といいます。
しかし、天井がないと寒く、ごみや虫などもふってきます。そこで、大正時代ごろから天井を張るなど、より快適に暮らせるように改築されてきました。同時に、天井裏は漁具などを置く場所として利用するようになりました。
屋根と壁
三軒長屋の屋根は茅葺きです。この茅葺きは、
- 叉首組の上に竹を横に渡し、これに竹の垂木を架けていく
- 細竹を横に渡して、下地を作る
- 下地の上に茅を置いて、縄で編んでいく
という作り方になっていて、この作り方は千葉県内の農家の茅葺き屋根とほとんど同じです。
このような茅葺き屋根は一見弱そうですが、寄棟造に組んであると地震にも強くなります。屋根の一番上には藁を積み、重しと防水をかねて「かんぶり瓦」を乗せます。
各部屋の区切りの壁は屋根裏まで塗り上げています。これによって各住戸の音が筒抜けになるのを防ぐことができ、地震の横揺れなどに対しても強くなります。土壁は、柱と柱を貫(柱同士を結ぶ横木)と呼ばれる水平材でつなぎ、内部に割り竹と細竹を組み合わせて芯を作っています。
長屋の壁も千葉県内の伝統的な農家と同様に土壁です。しかし、浦安では海からの風が強く、壁が風雨で傷みやすいので、土壁の外に板を重ねて張っています。この板を「下見板」といいます。外からは板壁に見えますが、その中には土壁があります。
外便所
昔、便所は不浄なものとして、たいてい家の外に作られ、長屋では共同の外便所を利用していました。博物館にある外便所は大正時代(1912年から1926年)ころの建築とされ、猫実2丁目の長屋の敷地に現存していたものを移築しました。屋根が低く、古くからの長屋の外便所の形をよく伝えています。
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