たばこ屋(旧本澤家住宅) 市指定有形文化財
旧本澤家住宅は、浦安市猫実5丁目4番8号の境川沿いから移築されました。
建築様式は、切妻造りの瓦葺き木造2階建てで、関東大震災から3年後の大正15年(1926年)に建てられ、通りに面した店はたばこ屋・雑貨屋として使われてきました。
旧本澤家住宅を、明治2年(1869年)に建てられた旧宇田川家(浦安市堀江3丁目4番8号)と比較すると、2階建ての町屋の変遷過程を知ることができます。
雨戸が揚戸から引戸になったこと、店の土間が狭くなったこと、窓の格子がなくなって広くなったこと、天井が高くなったこと(とくに2階の部屋の天井)などに注目してみましょう。
たばこ屋
本澤家では、外に張り出したウインドウにたばこの見本を飾り、土間のガラスケースに商品を並べていました。
昭和27年(1952年)頃は、「ゴールデンバッド」、「光」、「朝日」、「新生」などの両切りたばこがよく売れていました。
漁師はたばこが好きで、ほとんどの人が吸っていたということです。漁に行くときに持っていきやすい両切りたばこ(刻みたばこを紙巻にして、両端を揃えて切断したもの)が人気でした。
年寄りには、キセルを使って吸う刻みたばこが好まれたそうです。出漁前に買っていくため、朝の4時頃から店をあけていました。浦安の漁師たちは、その日に吸う分のたばこを買っていきます。そのため、箱を破って一本ずつばら売りをしていました。
たばこのほかにも、ちり紙、ろうそく、せっけん、たわし、祝儀袋などの雑貨も扱い、この店は昭和55年(1980年)頃まで営業していたそうです。
本業は…うなぎ屋
本澤家では、たばこ屋のほかに、うなぎ屋も行っていました。昭和27年には浦安の市場へ店を出していました。
台所の土間には、商売用のうなぎを保存しておいた大きな冷蔵庫が置いてあります。これは電気ではなく、上段に氷を入れて冷やす旧式の冷蔵庫です。当時は、大きな氷を4個も入れて冷やしていました。
また、かつては家の裏にうなぎを活かしておく生け簀(タキバ)もあったといい、土用の丑の日などには家族総出でうなぎを焼いたそうです。
高価だったたばこ
昭和27年(1952年)、ピース缶のパッケージの登場は、日本のデザイン界をゆるがしました。
当時の日本専売公社(現日本たばこ産業株式会社)は、高額のデザイン料を払って、高級たばこ「ピース」のデザインをアメリカのレイモンド・ローウィに依頼します。彼は「キャメル」や「ラッキーストライク」のデザイナーとして大変有名でした。これが評判になり、ピースの年間売上数は26億本から一気に93億本に跳ね上がりました。それから、このパッケージは不変のデザインとなったのです。
旧本澤家には、昭和26年7月に改定されたたばこ定価表(レプリカ)が展示されています。昭和27年のかけそば1杯の値段が17円で、新生10本が20円なので、当時、たばこは高価であったことがわかります。
旧本澤家2階のこども部屋、勉強机の引き出しには、「鉄腕アトム」が連載されている雑誌『少年』が入っています。手塚治虫作「鉄腕アトム」は昭和27年(1952年)に連載を開始し、以後、17年間連載が続きました。大ヒットしたのは昭和38年(1963年)にテレビアニメーションとして放映されてからです。テレビ初の本格的アニメは、はじめから30パーセントの視聴率を得て、最高視聴率は40パーセントを突破しました。
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