まちの様子
「うらやすの町」では、昭和27年ごろの生活を表す、さまざまなものが配置してあります。ここではその一端を紹介します。
電柱
一番通りに立っている3本の電柱は、市内に現存していたものを移築したものです。昔は防腐のためにコールタールを塗った木製(杉が主流)の電柱でした。コンクリート製の電柱が登場しはじめるのは、昭和20年代後半からです。
浦安に電気がひかれるようになったのは、大正期(1912年から1926年)からでしたが、昭和27年(1952年)当時も街中には街灯がなく、夜になると真っ暗だったといわれています。
風呂屋
浦安は風呂屋が多い町で、せまい地域に何件もの風呂屋がありました。それは、ほとんどの家に内風呂がなかったこと、また漁師が多かったことなどがあげられます。
漁師たちは、ハマ(海)からあがると、すぐに風呂屋に直行して潮まみれの身体を洗い流しました。午後3時から4時ころが現役の漁師さんたちで一番込み合っていたそうです。そして、その日の漁の成果や、取り引きする問屋の話などをしました。風呂屋は情報交換の場としても、重要な場所だったのです。
一日中働きずくめのおっかあ(お母さん)にとっても風呂屋は楽しみでした。夕食をすませ、家事を終えたあとに、近所の仲間と誘い合ってでかけ、おしゃべりに花を咲かせていました。また、風呂屋へ行く楽しみの一つには、帰り道に買い食いをすることでした。風呂屋のそばにはたいてい駄菓子屋があり、とくにこども連れのお母さんたちがジュースや菓子を買っていたそうです。
貝がらの道
まちなかには貝がらがまかれ、歩くと砕けてシャリシャリ音を立てていました。浦安では、貝のむき場、ふかし屋、各家庭から毎日大量の貝がらが出され、そのほとんどは貝灰工場で石灰や肥料、家畜の飼料に加工されていました。
しかし、貝がらをまくと道路の凹凸が補修され、水はけがよくなる効果もあったので、家のまわりや屋根から雨だれが落ちて地面が削れるところ、井戸や水道のまわりに貝がらをまいていました。この貝がらから出る匂いが、浦安独特の匂いでした。
ごみ箱
昭和30年(1955年)ころから行われた新生活運動によってコンクリート製のごみ箱が普及するまで、各家では木製の手づくりのごみ箱を使っていました。ごみは、決められた日に業者の人が大八車(のちにリヤカー)に載せて回収していました。
展示してあるごみ箱は、すべて「もやいの会」会員の手作りで、少しずつ違いがあります。
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郷土博物館
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