川沿い
堀江・猫実地区を流れる境川、当代島地区を流れる船圦川には、かつて隙間がないほど船がぎっしりと係留されていました。境川の江川橋のわきには、船溜まりも掘られていました。こうした川は漁港の役割を果たし、漁師はここから船をこいで漁に行きました。
昭和27年(1952年)当時、浦安の船の8割以上がべか舟などの小型の無動力船でした。
打瀬船
打瀬網漁に使われていた船です。船の側面から袋状の網を流し、帆を張って、風力で船を横向きに曳いて魚をとりました。
展示してある船は、平成12年(2000年)、浦安舟大工技術保存会によって、昭和46年(1971年)の漁業権全面放棄後、初めて再現されました。同時に帆や網も「もやいの会」会員によって再現されました。
川の護岸と桟橋
川岸には、ところどころに漁獲物を荷揚げするための桟橋がつくられていました。船が着くころには、問屋や売りっと(行商人)などが待っていて、活気にあふれていました。
護岸は昭和27年(1952年)ころは丸太と板で土留めされたものがほとんどでしたが、水の流れの速いところでは早くから石の護岸がつくられていました。
川の水は生活用水
川の水は生活用水として、食器洗い、米とぎ、洗濯、飲料水にも利用されていました。洗い物は川端へ運んで洗い、飲料水はくんで帰り、台所の大きな水がめにためて使っていました。
しかし、伝染病がはやるなどの衛生面の事情から、町は大正15年(1926年)、飲料水の給水事業をはじめました。その後は、一年を通してミズヤ(水屋)が江戸川の上流からくんできた水を売ってきました。
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